徳島藍染めと食べる会のリサーチのため、現地へ行ってきました。
藍のアテンドを今回、ボンアームの村上さんに藍染めに関することや、藍を食べるレストラン、藍の活用などを聞きました。
また美馬の無農薬で育てる農家さんをご案内していただきました。
ボンアームさんは、薬局会社が母体になっている会社で藍の効能を生かした食べる藍の商品を出しています。
藍の乾燥葉、種、お茶、藍粉、ビスコッティなど、レシピ付きで商品化しています。
ボンアームさんの会社はこちらご覧ください。
目次
徳島の阿波藍の歴史
古くから日本人の生活に関わる日本を代表する藍。
藍は人類最古の染料です。
有史以前から人類は藍使って布を染めてきました。
現在流通するスクモを作る職人藍師いる家は県内に5軒が残るのみ。
藍は鎌倉時代では勝ち色だった?!
藍染めの色を勝ち色と呼んで縁起担ぎに多用したため、藍染めは武士の色として一段と広まりました。
室町時代には庶民に至るまで日本人の衣服を彩る、最もポピュラーな色になりました。
江戸時代には藍染料の生産は全国の生産量の90%を超えたと言われます。
阿波の藍染料が全国にした背景には良質の藍染料を産出していたことがあります。
阿波藍は、江戸時代には独占的に市場を支配し莫大な富を徳島藩にもたらしたのです。
今日の藍住町には良質の藍が全域に生産されています。
その過程で精製されたすくもや、藍玉が諸国の藍市場に出荷されるようになったのです。
明治時代に日本を訪れた外国人が日本中に入って染められた衣服があふれていることに驚きこの国は神秘的なブルーに満ちた国と絶賛しました。
その神秘的なブルーを見出していたのが北方と言われる徳島県吉野川流域です。
藍の日本一の産地、徳島県吉野川流域とは?
この地域は日本一の藍染料の産地で、今なお途絶えることなく染色文化支えている藍の ふるさとです。
藍は、蓼科の植物で連作できません。
ところが吉野川は毎年のように氾濫するたびに上流から肥沃な土を流生の農村に運んできます。
この客土に栽培すると良質の藍が育ちます。
土用の頃に収穫しますから洪水がその後にやってくるのです。
米の作れない地方の祖先たちの中として藍作が盛んになりました。
収穫した相場は細かく刻み乾燥させ葉と茎にわけ、9月になると寝床と言う作業場で加工しすくも生成されます。
こうしたすくもに加工する技術は戦国時代に大阪から阿波に移り住んだ青屋四郎兵二郎衛と言う人が伝え阿波北方一体に普及したものと考えられています。
しかし藍生産が急に増加するのは棉作と木綿の生産が発達し、その染料として藍が一緒になる元禄の頃からです。
徳島が藍で発展した理由
藍で一気に目をつけた徳島藩では役所を設けて藍の取引税を徴収します。
藍商人には肥料を低利で貸し出したり、藍商人に大儲けさせるために大阪に阿波商人を進出させています。
こうして徳島藩の財政を豊かにしていったのです。
しかし明治36年にドイツから安価な価格の藍が大量に流される価格で太刀打ちできなくなり、次第に衰退していったのです。
阿波藍が見直される時
この吉野川流域では、平野部に広がる田園風景の中に、高い石垣でかさあげされた大きい屋敷があちこちに見られます。
本瓦ぶきで白壁の重厚な建物に囲まれさながら城を思わせるこの屋敷は屋敷と呼ばれてこの地域を象徴します。
藍邸は江戸時代から明治時代にかけて藍染料の生産加工流通を担った、藍師や藍商人の住居兼生業、商談の場でありここから多くの藍染料が日本中に送り出されました。
染め方の変化
阿波で栽培された藍は、蓼藍といい、タデ科一年草植物で、たくさんの葉をつけて育ちます。
古代から中世には、全国各地づ、藍染め原料として自給されていました。
当時は、葉藍を茎とともに水につけ、灰汁あくをまぜて、藍汁をつくり
そのまま染めると言うやりかたが行われてました。
そのまま染める沈殿藍と言う染め方です。
この方法で染めると洗えば色が薄くなるなどの欠点があります。
やがて年間染めれて、遠くまで運び濃い色に染めができる、すくもが作られるようになりました。
紺屋ーこうやー
染め物を生業とするものに
- 紺屋(こうや)
- 青屋
- 紫ぞめ
3種類があります。
紺屋はこうや呼ばれて糸染めと糊を使って布染めをしていました。
上級品を染める店をエエ紺屋と言います。
下級品を染める店をウゾウ紺屋と言いました。
青屋は糸染めを専門にしていました。
紫染めは、シャサャキ、
ひさかきの実の絞り汁で色染めをしていました。
紫ぞめは色が冴えて美しいが、紺染めと違い冷めやすいと言われています。
藍の素晴らしい薬効用途
藍は他の天然染料の原料と同じく薬草としてよく使用されました。
特に解毒作用が強く虫に刺された時は藍の葉を刷り込むと治るとか藍染の衣類を着ていると毒蛇に噛まれないと言われました。
また皮膚病にも効果があるとされています。
特に藍を染料として建てたときにできる藍の花(泡)は水虫の患部に刷り込むと不思議と完治します。
西は藍で東は紅花
江戸時代の諸国物産見立番付が大相撲に似せて毎年のように印刷され販売されました。
東野関脇が最上紅花、西の関脇が阿波藍玉となっています。
両者は染料界の王者にに君臨していたのです。
藍と紅花はそれぞれに特色を持つ染料ですが下地を藍染め、さらに紅花で染めますと大きな古代紫に染め上がります。
藍はアトピーに効果あり
植物の藍きはアトピー性皮膚炎などの皮膚疾患に対し、治療効果のある成分が含まれることがわかりました。
(弘前大学教育学部の教授と、医学部の共同研究により)
古くから、藍は肌荒れに効く民間薬に使われてきたが、研究で裏付けされたそうです。
藍染めで染めた布の保存方法
染めた布を折りたたんでおくと湿気を吸って折り目に細菌がついて色を消すことがあります。
それを防ぐためには
広げて釣っておくかまたは巻いておくのが良いですわ、
半年間は洗剤で洗うと色が落ちる水洗いでは落ちないのです。
半年を過ぎると洗剤で洗っても色が落ちないようになります。
染めた後一家月ごとに水で洗うと黄色の汁が出て今色が冴えてきます。
半年過ぎると黄色の汁が出なくなり、安定してきます。
また、柄を描いた糊が残っている場合は暖かい時期に糊抜きをするのがオススメです。
まとめ
徳島の藍についてどうでしたか?
実際現地に行って、藍染めしてきたくなったでしょう?
徳島には藍染め以外にも食べる藍の活用に力入れています。
和菓子やさん、レストランでも藍葉、藍種、藍粉を使ったメニューをだしているところが多いです。
ぜひ徳島にいって藍の歴史を感じながら、ジャパンブルーの藍を身近に感じてみてくださいね。